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1947年 |
立山・剣岳(第一回冬山合宿)
関西登高会の出発点となった昭和22年の正月合宿。 天狗小屋前で撮した創立メンバー達。
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1961年 |
ビッグホワイトピーク
会だけの登山が許されず、東京との合同隊であったが、梶本隊長以下4名が参加し、最初のヒマラヤを経験した山。
写真の左奥が主峰(7083m)で、中央はギャルツェンピーク。
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1964年 |
セント エライアス峰
目指すヒマラヤは登山禁止となり、高度は低いが厳しい条件を考え、会はアラスカを選ぶ。
会単独での初の海外遠征となったセントエライアス峰。
スキーストックの上がニュートン峰(4200m)で、その右が主峰(5488m)。
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1965年 |
マッキンレー峰
セントエライアス峰につづいて北米の最高峰マッキンレー(6191m)に挑み、
バリエーションルートの南壁東稜から3名が登頂した。右の稜線が東稜。
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1970年 |
ダウラギリ6峰
軽量とスピードを考え続けた会が、最初の初登攀に成功したのがダウラギリ6峰である。
カペ氷河の下部より眺めた6峰(7268m)。
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1968年 1970年 1973年 1978年
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フォーレーカー峰
アラスカではセントエライアス、マッキンレーにつづいて、フォーレーカー(5303m)、バンクーバー、
ハンター、マーカスベーカーなどに遠征を繰り返し、若い会員が力をつけた。
フォーレーカー峰は二度の挑戦で、いずれも目的を果たさなかった。
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1975年 |
ダウラギリ4峰
ダウラギリ4峰(7661m)と6峰は、関西登高会の山だと考えるのは、思いあがりだろうか。
岳友河津君と安田君が、永眠する山として何時までも心の痛む山であり、会として忘れられない山である。
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1977年 |
チョモランマ
1980年春の日本山岳会チョモランマ登山隊は戦後、北面から初めて挑む外国隊として世界の注目を集めたが、
賀集が北壁隊の隊員兼医師として参加した。
賀集は登頂のチャンスに恵まれなかったが、会友の重広ら3人が8848mの頂上に立った。
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1980年 |
K2
世界第2の高峰K2(8611m)には日本山岳協会隊の一員として賀集、山本、会友重広の三人が参加、
重広、山本が頂上を踏んだ。
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1980年 1985年 |
マッシャブルム峰
バルトロ氷河の入り口に怪鳥コンドルが翼を広げた様にそびえるマッシャブルム(7821m)。
その北稜はダウラギリ4峰につづく執念の山となり、2度目の挑戦で全員登頂した。
イェルマネンド氷河のベースキャンプから見る北稜(中央)。
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1984年 |
カンチェンジュンガ
1984年春のカンチェンジュンガ縦走登山は日本山岳会80周年記念登山として行われ、
賀集が中央峰ルートのリーダーとして参加。
会友の重広が南峰と中央峰に登頂したが、主峰(8598m)には到達できなかった。
写真はベースキャンプから頂上稜線を望む。
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1985年 |
ブロードピーク
関西カラコルム登山隊はマッシャブルムにつづいてブロードピーク(8047m)にアルパインスタイルで登頂。
賀集、西堤、重広らが頂上に立った。
写真はK2隊C4から見たブロードピーク。
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1990年 |
マッキンレー峰
アラスカ・マッキンリー峰(6194m)のウェスタン・リブから登頂、
つづいてフォレーカー峰(5303m)の北東稜と南東稜からの連続登攀を目指したが、マッキンリー登頂後、高度障害により一名死亡という遭難事故を起こし計画を中断した。
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1997年 |
ナンガ・パルバート
50周年記念登山隊としてナンガパルバート峰(8126m)ディアミール壁より3名が登頂。
結成以来50年を経て、会は高齢化・マンネリ化し、新戦力の補充もままならない中、会単独の平均年齢51.7歳のメンバーで初めての8000m峰に挑み、シェルパと酸素タンクを使わず自らの力で荷揚げをして登頂することができた。
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2010年 |
マッキンレー峰
平均年齢65歳のパーティーで挑んだマッキンリー峰登山。 60歳代を中心にもう一度全力でぶつかる登山がしてみたいという機運がわき、川本隊長(74才)以下6名の隊が結成され、2010年6月13日ウエスト・バットレスノーマルルートより3名が登頂。会としても3度目の登頂である。
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2013年 |
Mt.アイガー(3975m)ミッテルレギ稜
NHKのグレートサミットに魅せられ、昨年3名で挑みましたが悪天候の為取り付けず、Mt.メンヒ(4107m)に登り、2013年再度60歳代の4名でアイガーミテルレギ稜へ挑み、
8月23日全員登頂いたしました。アイガー山頂からさらにMt.メンヒへの稜線の岩峰を越えていく長い登攀が続く充実した登山を楽しめました。米田君の表現に「アイガーは人を酔わす」と有るように、人を魅了する山でした。これからも自分達に出来る山を模索しております。
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2015年 |
ビアンコグラートからピッツ・ベルニナ(4049m)ピッツ・パリュ(3905m)
ピッツ・ベルニナ ビアンコグラートは地元では、天のはしごと呼ばれ白い雪の稜線が真っ青な空に突き上げているように美しい稜線です。
19世紀からの登頂記録ノートに我々も一筆書きたいと思い、アイガー登山の賀集(66)米田(65)木村(68)に、海外登山初の豊島(60)の4名で挑んできました。
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2016年 |
マッターホルンとユングフラウ、アイガー
ヘルンリ稜からマッターホルン(4478m)を登頂。後半は2チームに分かれてユングフラウヨッホからユングフラウ(4158m)とミッテルレギ稜からアイガー(3970m)を登る。若い頃に憧れた名峰を自分達の年齢を考慮し、安全なガイド付き登山を楽しむ。
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