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■ 如何に登るべきか

関西登高會抄報 第1號(昭23)  梶本徳次郎

 
 情熱に燃えて関西登高会が発足してから軅て二年になる
敗戦直後の混乱と虚脱の中で、ふたたび激しい自我に目ざめた我々は再建の基調を山に求め、より高くより困難を克服してアルピニズムの復興を図ろうとした。且ての我国登山界の主流は学生と有閑人であり、世間は登山を有産階級の遊戯と見馴していた。しかし若干の先輩は貧しい勤労生活の中からアルペンの岩と雪に挑み、自由の天地に新しい足跡を残して行った。
 われわれが昨春、焼残った貧弱な装備と軽い財布をもつて冬期天狗平合宿をおこなった時、同志は十四人であり、劍立山の集団登山に成功したこの人数が会の創立者となった。次で記録としては廿二年三月剱槍縦走、八月涸沢合宿、廿三年一月徳沢合宿(槍ヶ岳登頂)、三月〜四月富士山撮影行、八月涸沢生活(屏風岩一ルンゼ)と近郊の岩登り、スキー練習を重ね有力な新人数名を加えた。
 会は高度の目標をもちながら一應順調な発展をとげて来たが、インフレの激化に伴い一介の小市民に過ぎない我々は極めて困難な立場になった。さらに会員の主力は廿五〜丗才の青年期で順次家庭の責任を増してきたので会の活動も稍々鈍化したように見えてきたが、これは一部の会員の示した過去の輝かしい記録に幻惑されている点が多いと思われる。 登山のための時と金は昔もけっして軽い負担ではなかった。高い目標へ行けば一そう負担を増し、今日の状態では両立は容易なことではない。しかし我々が自ら選んだ喜びのために、敢て困難な道を進もうとするならば、或る程度の精進が考えられる
 多くのスポーツから登山をえらび、山を心の故郷と考えるならばこれ位の犠牲は甘受せねばなるまい。 社会人としての総てを山へ集中せよと云うのではないが、俗悪な都会の遊戯や贅沢を一揶するだけの価値はあろう。 貧しくとも苦しくともわれわれは只単に高い山へ登りたい。希望は地球の屋根迄続いている。 われわれの周囲には人間として考え改むべき多くの矛盾が山積している。決して高い山へ登ることが人生の第 一義ではないが、真摯な登山の課程(雪・岩・氷の烈しい闘いや漂泊の岐路など)でしばしば赤裸々な人間の本性に解れ人世の意義を考えることが出来るであろう。一部の学生登山者に見られた線香花火的な登山よりも例えば社会人として境遇の変化や体力の衰退があっても永続性と若さのある登山生活が望ましい。
 われわれの理想は登山の民主化、或は民衆化にある。 会が微力な社会人の集団でありながら敢て高い水準を維持しようとするのも、登山を平民的なスポーツにしたいという個々の理想の結果に他ならない。今は日本の覚醒期であり解放期であるが眞の自由と平等は尚遼遠である。我々は眞面目な生活ほど苦しい、この矛盾に正しく強く耐えてゆこう。働きつつ登るが故に登山は一そう輝きを増すであろう。

 
[注] 当時の原稿文の字体をそのまま引用しています







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